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2022年9月 7日 (水)

やるだけの事先は分からぬ

蝉の声が聞こえぬ~夏が終わったか?折角菜園で農作業と思い始めたのだが~雨だ、予報は2㍉であったが、ヤバいぞ~春雨じゃ~濡れて行こう?いやはや秋雨じゃ~濡れていくか?そうはいくまいコロナ過である、奥さんに体調を崩されては堪らん「早く帰れよ~」と声かけをする、「お宅は早取りだね」「春の苗の切戻しじゃないよ、小さいけどね」「自分で作っているからだよ、小さいほうが美味いんだ」と~教えられて分かることもあるものだ~女心と秋の空?いやはや男心と秋の空だ。人の心は変わりやすい、求めれば何時かは叶う、願いが必ずや叶う時がある。求めよ求めねば何も変わらぬ、変わりはしない。自分を変えたいならとりあえず行動を起こすことだ。昨日は宗家指導であった、充実した思いであった~帰宅すると~どっと疲れが出た「バタバタと歩かない、ス~ス~ス~と足音を立てない」と家に帰ってまで指導係がいたか?あ~疲れたよ。何のためにやるのか?立身流居合道を此れほどまでに夢中になってやるのか?と奥さんに問いかければ「好きだからでしょう」「四段までは取りたい、五段は?時がないな?」「考える事はないでしよう、行けるところまで行けばいいの、誰にも先は分からない、未来は分からない、考えたら何で此処にいるのか?度々の詰まりは何で生まれて来たのか?まで考えが行ってしまう、思い煩うことなどない~行けるところまで行けばいい」と~~そんなもんかな?俺のいない留守中は庭木の剪定と草むしりをしているのだ、体力が無くなり近隣に迷惑を掛けないように出来るだけ剪定するのだと、気に入り植え育てた庭木だ、伐採するには思い切りがいるが先行を思えば決断の時と~。

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